コラム「人と経営」
もしドラ風マネジメント No.2
1.最初のドラッカーブーム
ドラッカーが日本人の経営層に人気があるのには理由がある。1946年、GM(ゼネラル・モーターズ)の経営と組織を調査し記した著書「企業とは何か」で話題になった。マネジメントも経営学も芽生えて無かった。
日本では、1950年代後半の三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)、1960年代の新・三種の神器(カー、カラーテレビ、クーラー)それを後押しするモータリゼーションの波が生活と消費を大きく変えた。
当時、日本企業は戦後の復興を経験し、そして著しい成長過程にあった。
彼らは新しい経営を求め、それを「経営学」「マネジメント」として、その概念を提供したのがドラッカーであった。
2.マネジメントの必要性
1954年の著書「現代の経営」で、ドラッカー名は米国のみならず、特に日本で有名になった。
1959年、初来日したドラッカーを若き日本の経営者は待ち受けた。
つくれば売れる時代が長く続く。右肩上がりの経済にこそ、マネジメントの必要性が問われた。
急成長する企業をどう経営すべきか、どのように人材を採用し、教育し、評価するのか。
経営者の意志決定は、目標はどのように設定すべきか。市場は、競争相手をどう定義づけ戦略を策定するのか。それにドラッカーの概念や著書が回答を与えた。
3.「もしドラ」は経営を超えたか
ドラッカーの著書の大半をダイヤモンド社が発行している。延べで400万部を超える。しかし、「もしドラ」は僅か、1年半で250万部を数えた。
ドラッカーのマネジメントを基本に添えた小説が。
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の小説の読者は、ビジネスマンよりも学生や女性、年配者に拡がった。ドラッカーのファン層は変わった。
そして、「もしドラ」映画の観客は小中学生を巻き込む。AKB48の前田敦子が始めての主役を演じたことも大きい。小学生にマネジメントの理解は難しいが、マネジャーの仕事は、出来ると思ったに違いない。
マネジャーの資質は真摯さである。「まじめさ」と「ひたむきさ」だと。